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​はりもと

​赤の記憶(スタロケ)

 

「ピーター!ロケット!いい加減にして!」

ガモーラの雷がミラノ号に轟いた。
びくっと肩をすくめ、恐々後ろを振り返る二人。
そこには仁王立ちになって二人をにらみつけるガモーラがいた。

「何でしょうか…」
「食糧庫をあんなに散らかしたのは誰?傷んでるものもそのまんま!」
「「俺じゃない!!」」

申し合わせたように首を振る。

「この際どちらかは問わない。大事なのはあんた達の雑食な嗜好のせいで貴重なほかの食糧まで被害が出てること。わかる?わかったら早く片づけて」
「ドラックスかもしんないだろう?」

指さすピーターにドラックスが振り向く。

「俺は鍛錬のため余計なものは食さない。お前らみたいに、牛乳の腐った塊や、魚を腐らせて瓶詰にしたものや、豆を腐らせたようなゲテモノは、体が受け付けない」
「わかった、わかったよ。…何で腐ったもの限定で話すの」

お手上げと言わんばかりに両手を上げ、ピーターはドアの向こうへ消えた。
気だるげな背中を見送ってロケットは手元の機械をいじり出す。
その目の前に、苛立ったガモーラがごみ袋の束を投げてよこした。

「今すぐ」

深くため息をついて、ロケットはごみ袋を手に取った。

 

 

食糧庫のドアを開けると、積み上げられた木箱の前でピーターが右往左往している。
足元には形容しがたい状態になった「元・食糧」が無造作に転がっていた。その背中に声をかける。

「ドラックスが“あの黄金色の液体は残しててくれ”だとよ」

元・食糧を手あたり次第掴んでは袋に放り込んでいく

「アイツに渡すと水みたいにに無くなるんだよ。やだね、酒を嗜むってことを知らない輩は」
「お前も大概だろ?」
「大体これだってなあ、まだ食えんだよ」

ピーターの手には、全ての水分が抜け落ちてカラカラに縮こまったパンの切れ端が握られていた。

「………消しゴムに使うの間違いじゃねぇか?」

ピーターの手からパンを奪い取り、袋に投げ入れる。

「ラヴェジャーズはあんな奴らだからな。殆どろくな飯食ったことない…おっ、いいもん出てきたぞ」

箱の奥を弄っていたピーターの手が止まり、赤い物体がロケットに投げ渡された。
キャッチすると、まだ光沢のある実が、ずっしりと手になじむ。

「リンゴか」
「アライグマには、リンゴだろ?」

ロケットを振り返るとにやっと悪戯っぽく笑う。
その言葉と、子供のような笑顔。

『アライグマには、リンゴだろ?』

既視感にめまいがする。
重心がぐらついて、ロケットの脳裏によみがえった映像。
記憶の底、白い靄に包まれた向こうには、自分より少し背の高い、幼い男の子の姿があった。
――――――――そうか、あれは……………。

 


今が朝なのか夜なのかもわからない。顔を上げても待ち受けているのは闇ばかり。金属の質感が冷たくまとわりつき、果てしない疲労感と共に体力を奪う。
さっきからもうずっと、ロケットは通気口の中を這いつくばって進んでいた。ぎりぎり通れる程の狭さに悪態をつきながら、もうどれくらい経っただろうか。
「―――――――つッ……!」
取り外しきれなかった足かせが皮膚まで食い込んで、動くたびに痛みが走る。
荒い息を整えて、再び体全体で歩みを進める。
急がないと、追ってくるかもしれない。

(せっかく逃げてきたのに―――――――――)

足かせには「89P13」の文字が刻印されている。

(アイツがそう名付けて俺を改造した)
(俺の体をずたずたに引き裂き、繰り返し組み換え、金属片をねじ込んだ)

身体に刻み込まれた記憶が、生々しい質感と共に呼び起こされる。
そこはいつも人口の光で眩しかった。
体内を全て晒されるような白々しい電灯のもと、四肢は台に固定された。
いつ付けられたのか、把握するのををやめた体中の傷が、絶え間なくうずく。
最たるものは背中の裂傷だった。
無理やり縫い合わされ熱を持つそこを、宥めるように冷たい手術台が受け止める。
埋め込まれたボルトがほかの皮膚とは明らかに違う質感で、横たわるロケットに食い込む。
違和感はいずれ、身体のすべてを覆いつくすだろう。
ロケットの絶望を覗き込むように、男は身を屈め、やがて囁くのだった。

『お前は私が生み出してきたモノの中で…最も美しい身体だよ』

そう言って、冷たい視線とは裏腹な熱い手で、全身の体毛を撫でさすられる。その度に、吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われた。
違法な遺伝子操作であることは承知していた。だから、それ故に厳重な警備網を突破するのに、かなりの歳月を要したのだ。
いや、実際の年月に換算すると大した長さではなかったかもしれない。しかし、いつ繰り返されるかもわからない改造手術の日々は、ロケットを困憊させた。

ひたすらに前へ進む。目の前に集中しないと、過去と呼ぶには真新しすぎる記憶が容赦なくロケット襲う。
やっとのことで明かりが見えてきた。じわじわと漏れ出る光に向かって、最後の力を振り絞る。
ダクトから転がり出るとコンクリートの床がロケットを受け入れる。
すぐ足元には、異臭を漂わせながらとても綺麗とは呼べない水が勢いよく流れている。地下の排水通路のようだった。
辺りを見回しても、ぽつぽつと頭上に明かりがともるくらいで、生き物の気配一つしない。

「ハッ、俺にはお似合いの場所だな」

自嘲気味につぶやくと、気が緩んだのか強烈な眠気がロケットを襲った。
壁にもたれるようにして、瞼を閉じる。

 


僅かに空気の動く気配がした。
(しまった、寝てたか)
意識が薄く浮かび上がり、瞼をわずかに瞬いた。

「あ、起きた」
「―――――――――――っっ!!????」

がばっと勢いよく身を起こす。
目を見開くと、そこには金色の髪の少年が座り込んでいた。
何とも無防備に、にこにこと笑っている。驚きと混乱の中で鼓動が早くなる。

「わりぃ、驚かせた?」
「……………。」
「何でこんなとこで寝てたの?」
「…………。」

(これは尋問なのか?)

どっちにしろ口を開くのは得策ではないような気がする。
フイ、と顔をそらして、ロケットは拒絶の意思を見せる。
少年は、突然地下で出会ったアライグマに目を輝かせていたが、反応がないとみると落胆したのか「なんか人間っぽいんだよな~」と呟きを残して、ざぶざぶ汚水の中を歩き始めた。
頭に付けた簡易ライトのスイッチを入れ、何やら汚水の中をじっと見つめている。

「…ったく、狭いとか暗いとかすぐ俺に押し付けるんだから…しかも臭いし…」

ぶつくさ言いながら時折「あった!」と身を屈め、水中に手を差し入れる。表情豊かな少年のようで、その度に舌を出して、今にも吐きそうな顔をする。まだ細い指が金色の粒を拾い上げ、腰に結わえ付けてあるポーチの中へ。
恐怖は拭えなかったが闇雲に逃げ去るリスクを負う程でもないし、思っていたより疲労と足の痛みが強い。気が緩んでしまった今、休憩無しで歩き続けられる気がしなかった。
ロケットはその延々繰り返される作業をただ静観することにした。
今まで対峙してきた奴らとは、明らかに趣を異にしている。
あの、どこを見渡しても灰色の冷たい部屋では、こんな風に顔をほころばせる人間を見たことがない。それが魅力的に映った。ころころ表情の変わるこの少年に、次第に興味が出てきたのだった。
そうしている内に、徐々にライトの明かりが不安定になってきた。
じじ…と微細な音を放ちながら、光が弱まったり、たまに消えたりする。
その度に少年は悪態をつきながら、べしべしとライトを叩く。

(…ありゃ消えんのも時間の問題だな……)

ロケットの予想通り、少年の健闘虚しくライトは光を全く発さなくなった。

「あ―っもう!クラグリンが貸してくれるやつはボロばっかだ!!」

苛立ちをぶつける術もなく、しゃがみ込む。
すると、勢いよく両手を汚水の中に潜り込ませ、水が跳ねるのもお構いなしに底の方を探り始めた。

「くっせえ――――――――っ!!!」

叫びながらも手は動かすあたり、なかなか根性があるらしい。
しかしそれでは余りに効率が悪い。
既に1、2時間は同じ姿勢での作業を続けているのだ。この調子で闇雲に続けてもただただ疲労が溜まるだけだろうことは、日の目を見るより明らかだった。
こんな状況で助ける義理はない、だが放っておくことは何となく憚られた。
ロケットはため息をつく。

「貸せよ」

通路内に低い声が響く。
少年が勢いよくロケットを振り返る。

「しゃべった!!!」

その顔は満面の笑みだった。

「なんだよー!やっぱ喋れんじゃん!あ、コレ?点かなくなっちゃったよ~」

言いながら、ざぶざぶとロケットへ歩み寄る。
無言でライトを受け取ると、器用にバラし始める。
逃げる際近くのデスクの工具をありったけかっぱらって来たのがこんなところで功を奏した。本当はユニットが欲しかったが。
少年の目の前で、簡易なライトは瞬く間に分解され、そしてまた元の姿を取り戻した。

「ほら、これで点くだろ」

額に再度装着し、スイッチを入れると先ほどより眩しく光がともった。

「すげぇ!!ありがとな―」

さっきの苛立ちはどこへやら、少年は再び汚水の中へ意気揚々と戻っていった。

「お前の拾ってるそれは何だ?」

作業に熱中する背中に問いかける。

「サキンだよ。積んでたユソーシャがオウテンして流れ込んだんだって」
「ふうん…楽しそうだな」

その言葉を聞くと少年は勢いよく振り返った。

「楽しくなんかあるかっ!」

不服そうに口をとがらせる少年からは、それでも悪意というものがまるで感じられなかった。

(そう言われても楽しそうに見えるな)

口に出すと不用意な怒りを買いそうなので、黙っておいた。
それからまた数時間。

「終わった―――――!」

大きく伸びをして、立ち上がる。

「じゃ、俺行くわ。お前は?」
「俺は…」

どこへ行けばいいんだろう。
人など到底入って来れない通路を通り抜け、ひとまずの危機は脱したように思えた。
だが、次はどうすればいい?  
恐怖から逃げるために酷使した頭と体が、動くことを拒否する。
言い淀むロケット。その腹から、気の抜けた、ぐぅううという音が鳴った。
突然の空腹のサインに、二人は目を合わせた。

「腹減ってんの?じゃ、俺んとこ来いよ!ライト直してくれたお礼」

屈託なく笑う少年はロケットに考える隙を与えぬまま、ずかずかと近寄ってくる。

「いや、俺は行かな―――――ーいっ!!?」

そして、その体のどこにまだそんな力が残っているのか疑問に思う程、楽々とロケットを抱え上げた。

「おいっ!下ろせ!やめろ触んな!!」

両腕だけでバタバタと足掻くが、案外力が強くびくとも動かない。
荷物を肩に乗せるように器用に抱きかかえると、鼻歌交じりで元来た方向へ足を進める。

「動けないんだろ?さっきから座ったまんまだし、足、イタソー」

ぐ、と言葉に詰まったロケットに、少年は満足そうに微笑んだ。
自分が這い出てきたダクトが、どんどん遠くなってゆく。
少年の、水を蹴る音だけが地下中を満たす。
数時間ほとんど休みなく素手で水底をさらっていたせいか、彼の指先は冷たい。体毛越しにもその温度が伝わる。

(でも、嫌じゃない)

ロケットは力を抜くと、日なたが香る少年の肩にそっと鼻先をうずめた。

 

 

「あっ、タルク!!」

少年が足を速める振動で目が覚めた。
いつの間にか地下を抜けたようだ。久々の地上の空気に目まいがする。
外は真っ暗だったが、少年の走り寄る先に鎮座する船は、武骨な光沢をたたえ、一目で巨大なものだと分かった。
タルクと呼ばれた男は船体に預けていた体を起こし、こちらへ手を上げた。

「朝日を拝むかと思ったぜ」
「めちゃくちゃ臭かったんだからなー!」

仲間と再会してほっとしたのか、声のトーンが一段と明るい。
タルクが怪訝そうな瞳でロケットを見る。

「そのアライグマは何だ?」

少年はロケットを下すと、船体に凭れ掛からせた。

「地下で会ったんだ。腹減ってるみたいだから連れてきた」

タルクの瞳が鋭さを増す。
値踏みされているようなその視線に耐えかねて、ロケットは目を伏せる。

「だめだ。コイツはここに置いて行く」

少年の瞳が大きく見開かれた。

「ウチにはペットを飼う余裕なんかねぇ」
「ペットじゃない!俺のライトを直してくれたんだ」
「メカニックならウチにもいる」
「足を怪我してるんだ」
「千切れた訳でもないだろう。唾でもつけときゃ治るさ」
「腹減ってんだよ。飯ぐらい、いいだろ?」
「地下のアライグマなんて、どんな菌を持ってるかわかったもんじゃねぇ。とにかく船には、入れさせない」

必死の懇願にも、タルクは取り付く島もない。
わなわなと肩を震わせ、

「もういい!」

少年は船内に駆けて行った。

「ヨンドゥに言っても同じだ!!」

その背中に一際大きく言葉を放つと、ロケットと相対するように、腰を下ろした。
煙草を取り出して紫煙と共に大きなため息を吐き出す。
ロケットの足かせを、指さす。

「89P13、高額な懸賞が出てる。船長は、お前を売り飛ばすよ」
「…………。」

俺が船長でもそうする、そう呟くと苦笑を漏らした。
ロケットは歯がゆそうに顔をゆがめる。

「まぁそう暗い顔しなさんな」

タルクはズボンの尻ポケットを探ると、ユニットの束を取り出した。

「中古のボロ船なら買えるだろ」

目の前に置かれたそれを、疑わしそうに睨み付けるロケットへ微笑みかける。

「返せってんじゃない。幸いこの船はギャンブル依存症の集まりなんだ。3日賭場に顔出しゃあ取り返せる額さ」
「だけどよ…」
「いい子じゃこれから生きていけねぇ」

タルクは射貫くような瞳でロケットを見つめた。

「おまえはまだ狩られる側だ。狩る側になれよ、俺たちみたいにな」

ほら、と札束を無理やり小さな手に握らせた。
手に収まったそれを暫く睨み付けていたが、意を決したように、ポケットへしまう。
と、船内からトボトボと少年が歩いてきた。

「ダメだって?」

タルクの問いに頷きで返す。
少年はその青くて真っ直ぐな瞳をロケットへ向けた。
何か言いたげに口を数度開き、また閉じる。
膨らんだポケットから赤いものを取り出し、ロケットへ投げた。
リンゴだった。
危なげなくキャッチする。
それは甘い香りを放ち、しっとりとロケットの手になじんだ。

「これしかなかった。ウチはろくな食べ物無いから…」

すまなそうに下を向いていたが、ふいに貌を上げ、にいっと人懐こい笑顔を見せた。

「アライグマには、リンゴだろ?」

そう言うと、少年は身を翻し、再び船内に駆けて行った。
去る間際一瞬だけ見えた横顔。
その瞳は今にも零れ落ちそうな涙をたたえていた、ようにロケットには思えた。

「子供だ。すぐ忘れるさ」
「…………。」
「お前も忘れろ」

それじゃあ、と腰を上げると、煙草を踏み消す。少年の後を追うように船内へ帰って行った。
後には木々のざわめきと、暗闇に紛れて息づく動物たちの声が残された。
ひしゃげた煙草から一筋の煙が上る。
それらに紛れるように、ロケットは闇の中へと歩を進める。
さっきまで一緒にいたのに、思い出される少年の顔はすでにぼやけていた。

 

 

 

「ロケット?」

呼びかけられ、ハッと我に返る。
もうずっと昔の、とうに忘れ去っていた記憶。
不意に蘇ったそれは、目の前の男を、一瞬だけあの頃の少年へ若返らせた。

「なぁクイル、テラ人ってのは、10年20年そこらで体がでかくなるもんなのか?」

唐突な問いにピーターは目を丸くする。
何の疑いもなく真っ直ぐに向けられる感情、ころころと変化する表情。
そういったものに、憑りつかれていたのだ。自分が思うより、ずっと前から。
今更思い当たった可能性に、ロケットは瞳を細める。

「体?…まぁそうだな、ガキの頃からの年数なら、別人並みの体格だろうな」

そう言うと、得意げにポージングを決める。

「まぁ、俺は昔っからこの肉体美だったけど?」
「てめーはガキの頃が一番まともだったんじゃねえか?」

呆れ返ったようにな声色のロケットを気にするでもなく、ピーターは作業の続きに戻った。
その背中に、少年の小さな後ろ姿の面影はもう見えない。だが、思い出せる。もう忘れなくていいのだ。
リンゴを齧ると、日の経ったそれは水分が飛んでいて、お世辞にもおいしいとは言えなかった。
あの時もらったリンゴはどうしただろう。腹が減っていたからすぐに食べたんだろうが、早く忘れるために置いて行ったような気も、しなくもない。
巡り巡って、やっと手元に戻ってきた。
そんな甘ったるい考えになるのも、クイルのやたらとご機嫌な鼻歌のせいだ、とロケットは思う。

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